問題と課題

かつて内弟子として修行に励んでいた頃のことです。

師匠である藤平光一先生と同じやり方をしているはずなのに、「なぜか上手くいかない」ということが多くありました。

「同じように動いているのに技ができない」
「同じように表現しているのに相手に伝わらない」
「同じように聞いているのに相手の真意が掴めない」

一生懸命に真似ても全く通用しない――。あのとき、身をもって痛感したのは、方法や手順といった「やり方」を整えるだけでは、決して埋まらない溝があるということでした。

やり方を学ぶとは、「いまの自分」のままでいることを前提に、新たな知識や技術を得ることです。しかし、私が直面していたのは、「やり方の問題」ではありませんでした。

それは「相手を思い通りに動かしたい」「失敗をしたくない」という我欲と、そこから生じる心と身体の力みでした。知識や技術を足すだけでは解決せず、いまの自分が変容することを前提に目の前のことに向き合う、自らの「あり方の課題」だったのです。


「問題」と「課題」は似た意味で使われることがありますが、私は明確に使い分けています。

問題とは、自分の外側にあるものであり、やり方を学ぶことで「いまの自分のまま」解決できるものと捉えています。課題とは、自分の内側に関わるものであり、やり方を学ぶだけでは解決せず、自らのあり方が変わることで乗り越えるものと捉えています。

「あり方の問題」と捉えると、人格に欠陥があると非難されたように感じ、言い訳や自己防衛に入ってしまいます。一方、「あり方の課題」と捉えるからこそ、自らを省みるゆとりが生まれます。「やり方の問題」と「あり方の課題」を明確に呼び分ける理由がここにあります。


この違いは、日々の人間関係においても同じです。

例えば職場や家庭で意見の食い違いや対立が生じたとき、私たちはつい「どう言えば相手を説得できるか」と、話術や駆け引きといった「やり方」に頼り、自分の望む結論を得ようとします。原因を内ではなく外に求めるため、目の前の出来事を単なる「やり方」で処理しようとしてしまうのです。

しかし、人間関係において一方だけが悪いということはありません。双方に変容が求められるわけで、それを実現するのが「対話」です。

対話とは、相手を説き伏せることではなく、相手の主張に無条件に従うことでもありません。自分も相手も、双方の「あり方」が変わることを前提として、心を静めて話し合うことです。それによって、解決の道筋が全く見えないような状況でも、共に新たな道を見出していくことができます。

「自分は全く変わることなく、相手だけを変えようとする」――これが、多くの争いの出発点です。心身統一合氣道が理念として掲げる「争わざるの理」とは、臍下の一点に心を静め、「相手と共に新たな関係性を築く」という行動そのものです。対話は、その実践なのです。

人間関係に行き詰まったとき、相手の「問題」だと決めつけて相手だけを変えようとするのか。それとも、自らも変容していく「課題」として受け入れるのか。

そこに、根本的な解決への道があります。

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