01-コラム 性質をみる 先日、地方で宴席に出たときのこと。東京から参加していた青年が、手違いで宿泊先が確保出来ておらず、どうしたら良いか困っている様子でした。青年は、見た目に厳しそうな先輩と一緒に来ていました。それを知った先輩は、スマートフォンを取り出して調べ始め... 2020.02.03 01-コラム
01-コラム 性質と能力 宮大工の世界では「木の性質をみる」ことが重要とされています。同じ種類の木でも、北向き・南向きなど場所によって質が異なり、建物に使用するときは生えていた環境をふまえて用いるそうです。木の性質を見極めて、適材適所で活かすことが求められています。... 2020.01.06 01-コラム
01-コラム 「氣を出す」とは何か(2) 私が指導者となってからの話です。藤平光一先生の内弟子修行が始まり、間もなく指導の現場を頂きました。20人ほどの皆さんが通う大人クラスでした。大学合氣道部で稽古の統率を取る経験はありましたが、氣の理解は足りず、指導技能も不十分で、人間性も未熟... 2019.12.02 01-コラム
01-コラム 「氣を出す」とは何か(1) 「氣を出す」とは何か。氣が滞ると、心を自在に使うことが出来なくなります。このとき、氣を出すことによって、氣の滞りが解消されます。氣を出すことによって、新たな氣が入ってくるからです。このことは、「渋滞」の持つ性質ととても良く似ていることが、新... 2019.11.01 01-コラム
01-コラム 誦句集「座右の銘」(3) 前回に続き、誦句集「座右の銘」の解説です。氣が通うために、もっとも重要なのは「氣を出す」ことです。氣を出すことで新たな氣が入って来て、氣が通うようになるのです。人間本来の状態に戻ることが出来ます。流れにおいては、「出せば入ってくる」という性... 2019.10.01 01-コラム
01-コラム 誦句集「座右の銘」(2) 前回に続き、誦句集「座右の銘」の解説です。心身を統一し、天地と一体となる事が我が修行の眼目である。ここで初めて「心身を統一する」という言葉が出て来ました。心身統一合氣道の「心身統一」で、心身統一とは「天地と一体である」ことを指します。しかし... 2019.09.02 01-コラム
01-コラム 誦句集「座右の銘」 心身統一合氣道では、稽古の始めに全員で「誦句集(しょうくしゅう)」を唱和します。心身統一合氣道の創始者である藤平光一先生が、心身統一合氣道の重要な教えを22の項目にまとめたものです。その中でも最初の「座右の銘」は、心身統一合氣道を学ぶ者にと... 2019.08.01 01-コラム
01-コラム Ki principles 心身統一合氣道の稽古は「氣」に基づいて行います。英語で指導する場合には、「Ki principles」と表現します。日本語に直訳すれば氣の原理ですが、この場合は「原理」というよりも、「働き」とした方が理解しやすいかもしれません。「Ki pr... 2019.07.08 01-コラム
01-コラム 相手の立場に立つ 先代の藤平光一先生はたいへんな酒豪でした。私は酒豪とは程遠いので、少量のお酒を美味しく頂きます。「農口尚彦研究所」という石川県の日本酒があります。杜氏の農口尚彦さんは現在86歳。82歳で引退されましたが、2年間のブランクを経て、酒造りに復帰... 2019.06.03 01-コラム
01-コラム 滞りを持たない 東京大学先端科学技術研究センターの西成活裕教授は「渋滞学」という学問を確立したことで有名です。10年以上にわたって取り組んで来た研究内容をまとめた学問で、「渋滞学」という名称は、西成先生が独自に命名されたものです。現在では道路の渋滞に限らず... 2019.05.07 01-コラム
01-コラム 天地を相手に生きる 藤平光一先生は「天地を相手に生きる」ことを大切に説きました。私たちは、自分自身の経験に基づき、様々な価値観を持っています。勿論、それは必要なものではありますが、自分の「物差し」なので、物差しそのものがズレてしまうと大変なことになります。しか... 2019.04.01 01-コラム
01-コラム 意識する、ということ 自分が自然にしていること、出来ていることを言葉にすることで、パフォーマンスが悪くなることがあります。それまで無意識で出来ていたことを「意識」することによって、同じように出来なくなってしまうのです。私はこれを7年前に経験しました。次世代の指導... 2019.03.01 01-コラム
01-コラム 角度を変えてみる 私は子どもの頃、12年ほどピアノに触れる機会がありました。藤平光一先生のお弟子さんにピアニストがいらして、直に教えて頂いていました。私には勿体ない先生で、不良生徒でしたが、そのときに教わったことが今になってようやく理解出来るようになってきま... 2019.02.01 01-コラム
01-コラム 洗心の行 「洗心の行」は寒中で水をかぶる行(ぎょう)です。元々は先代の藤平光一宗主が、新しい一年を迎えるタイミングで、生家である代官屋敷の堀に入っていたのが始まりです。それをみていた弟子が一人、また一人と「自分もやりたい」と増え、堀に入りきらなくなっ... 2019.01.08 01-コラム
01-コラム 心を決める 藤平光一宗主は私の師匠であり、父でもあります。ひとたび「師匠と弟子」という関係になると、「親と子」ではなくなり、「親父」や「お父さん」と呼ぶことは全くなくなります。振り返ってみると、親子関係であったことを懐かしくさえ感じます。親子時代のこと... 2018.09.03 01-コラム
01-コラム 静止と停止 藤平信一です。相手が力いっぱい自分の手首をにぎって、押さえるとしましょう。そうすると、持たれたところ(=手首)に意識を取られてしまい、持たれたところから動こうとして、動けなくなってしまいます。しかし、冷静になってみれば、持たれているのは手首... 2018.08.01 01-コラム
01-コラム 何が問題か 藤平信一です。今回はビジネスのフィールドの話です。いま心身統一合氣道の学びは、日本を代表する大きな企業の幹部育成の研修で、本格的に取り入れられています。バブル景氣の頃は、めずらしさで取り入れる会社が多かったようですが、現在では、明確な目的を... 2018.06.01 01-コラム
01-コラム 固まらない 藤平信一です。大学の一般教養の授業で学生と関わるようになって20年になります。10年前、もしくは20年前の学生と、現在の学生を比べてみると、確かに、感じ方・捉え方・考え方には変化があるように感じます。ただ、良く言われる「昔の学生と比べて今の... 2018.04.02 01-コラム
01-コラム 小さな滞りが大きな滞りを生む 藤平信一です。内弟子時代、掃除に明け暮れたことが習慣になったようで、私は今でもよく掃除をします。ホコリというものは面白いもので、小まめに掃除しているとひどくは汚れません。計画的に掃除していれば、大掃除をする必要もありません。しかし、大した汚... 2018.03.01 01-コラム
01-コラム 向かい合う 藤平信一です。心身統一合氣道の技の稽古において「ぶつかる」という感覚があります。技において「相手をこう投げよう」「相手をこう動かそう」として、自分のなかに結論を持った状態で相手と接すると生じる感覚です。ひとたび、これが生じると、相手を導き投... 2018.02.01 01-コラム