
「欲深いことは良くない」
子どもの頃からそう教わることが多く、私たちは「欲」という言葉にどこかネガティブな印象を抱いているのではないでしょうか。
実際には、私たちが成長し、成し遂げるために、欲はなくてはならないものです。「もっと上手くなりたい」「誰かの役に立ちたい」という前向きな欲があるから行動が生まれます。
そういった欲から物事に取り組んでいるのに、ボタンの掛け違いのように、なぜか上手くいかなくなることがあります。それは、「欲」が「我欲」に変質しているのかもしれません。
- 「皆が快適に過ごせるようにしたい」と片付けをしていたのに、誰かが散らかした途端に「なぜ、散らかすの!」と不機嫌になってしまう。
- 「日頃の感謝を伝えたい」と贈り物をしたのに、相手のリアクションが薄いと「もっと嬉しそうにできないの?」と気分を悪くする。
- 「家族と楽しい思い出を作りたい」と計画した旅行なのに、予期せぬ渋滞で予定が狂った途端、「せっかく計画したのに!」と怒って雰囲気を悪くしてしまう。
せっかくの前向きな「欲」が、いつの間にか「自分の思い通りにしたい」という「我欲」に変わってしまっています。我欲とは執着であり、心は固定されて自在に働かなくなるのです。
25年くらい前に、リバーラフティングを経験したときのことです。基本的に安全と言われていたのですが、ボートが大きな岩に衝突して転覆してしまいました。水流の荒いところに放り出された私は、少しだけ上流にある近くの岸を目指して泳ぎました。
しかし、水の流れはすごいもので、僅かな距離にもかかわらず、いくら泳いでも岸に届きません。ひとたび「そこに行くんだ!」という状態になると、他の選択肢が見えなくなります。
そんなとき、一緒に放り出された妻から「水の流れに従って!」と声をかけられました。救命胴衣を着ていましたから、そのまま流れに身を委ねると、水の流れが穏やかになったところで実に簡単に岸に上がることができました。このハプニングは私にとって人生訓となりました。
このとき私は、自分が「こうしなければ!」という思いにとらわれ、視野が著しく狭くなっていました。本来の目的を見失って、自分が定めたルールや期待に縛られてしまう。この執着こそが、私たちの最大の課題なのかもしれません。
厄介なのは、氣が滞っているときほど、自分ではなかなか気づけないことです。だからこそ、臍下の一点に心を静め、いま自分が抱いているものが「欲」なのか「我欲」なのかを知ることが大切です。
見極める基準は、「物事が思い通りに運ばないとき」の心の動きにあります。
想定した通りに物事が運ばないときに、柔軟にやり方を変えられるなら、それは健全な「欲」です。川の流れが、目の前に岩があっても包み込んで先へと進んでいくような状態です。「今できることを探そう」と思えるとき、氣の流れは途切れません。渋滞に巻き込まれても「道中で寄れる場所を探そう」と思えるなら、それは「欲」が働いている証拠です。
反対に、思い通りにならないことにストレスを感じ、イライラして自分のやり方に固執するなら、それは「我欲」です。「こうあるべきだ」という自分のこだわりに心がとらわれることで氣が滞るのです。「せっかく計画したのに!」とその場の空気を壊してしまうのは、まさに不健全な「我欲」が顔を出した瞬間と言えるでしょう。
こうした氣の滞りに気づいたときは、「臍下の一点に心を静める」ことです。
臍下の一点は無限小の点ですから、力を込めて固めることは物理的に不可能です。この力みの及ばない場所に心が静まることで「思い通りにしたい」という不自然な力みがスッと抜け、視野が広がり、ありのままの状況を冷静に見渡すゆとりが生まれてきます。
「我欲」を手放すことは、「欲」を諦めることではありません。むしろ、不要な「我欲」を手放すからこそ、「欲」という大きな力を正しく発揮できるようになるのです。
氣を滞らせず、心身を自由に使えるしなやかさを、日々の生活の中で養って参りましょう。

