いったん空ける

藤平光一先生の内弟子時代、大事に教えられたのが「器の水」の話です。

今から水を注ごうとしているのに、器の中にすでに水があるとしたら、それ以上は注ぐことができません。新たな水を注ぐには、既に入っている水をいったん空ける必要があります。

この「いったん空ける」というアクション、当たり前に感じるかもしれませんが、実際の場面では決して簡単ではありません。内弟子時代、道場だけではなく、日常でも徹底して訓練しました。

日常で言えば、相手の話を聴くには自分が言いたいことをいったん空けることです。言いたいことでいっぱいの状態では、相手の話が入るゆとりがありません。

学びで言えば、既に知っていたり、経験したりしていることは理解の助けになりますが、「訳知り」になると、新たに学ぶ上で妨げになってしまいます。

同じ話を聞いても、自分が成長していれば聞こえ方が変わるものです。「また、同じ話をしているな」と感じるときは、器にすでに水が入っている状態だということです。

思い返せば、藤平光一先生は誰かの話を聴くとき、何かを体験するときに新鮮な反応を示すことが多くありました。お供をしていて「以前に同じことがあったのに、お忘れなのでは」と思うことがありましたが、いったん空けることをされていたのでしょう。


私にとって、内弟子時代の最も重要な学びは「学び方」にありました。

物事の習得において、最も気をつけるべきは「当てはめる」ことです。新たなことに触れているのに「これはあれと同じだ」と解釈を加えることで、正しく理解できなくなる恐ろしい現象です。

本質的なことは根底で繋がっていて、やるだけやってみた結果、「このように繋がっていたのか」と腑に落ちることがあります。しかし、当てはめてしまうと本質を理解できなくなります。

人に対しても、私たちは同じことをしがちです。「この人はこういうタイプ」という分類を当てはめることで、相手が見えなくなることがあります。

既知の「何か」と比較しないと理解できなくなっているときは、目の前のことを正しく習得できない状態に陥っているということです。情報社会がかえって難しくさせているのかもしれません。


心身統一合氣道会の会長の立場で、私は対談をする機会が多くあります。

私が常に心がけているのは、「当てはめずに話を聴く」ことです。「心身統一合氣道で言えばこういうことですね」と当てはめると、相手が本当に言いたいことを理解できなくなります。

ゆえに、私は出来る限り、真っさらな状態でお話を聴くよう努めています。相手を理解するプロセスにおいて無理に共通点を探すこともしません。勿論、対談相手が心身統一合氣道を学ぶ方であれば、共通の話題として心身統一合氣道の話をすることはあります。

最新刊の工藤公康さんと九重龍二さんとの鼎談本『活の入れ方』では、私がストーリーテラーを務めることになったので、自分の中にあるものをいったん空けて、お二方のお話を聴きました。

その結果、細かな点で修正はありましたが、私が取りまとめた内容で工藤さんと九重さんから大きく手直しが入ることはありませんでした。自信を持って、三人の共著として出版できました。

私は日々、「いったん空ける」ことを訓練し続けています。

心身統一合氣道会ホームページでは藤平信一特別対談を公開しています。ぜひお読みください。

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