心身統一合氣道の技は、投げの姿勢が盤石であることが重要で、姿勢が乱れると全く通じません。
相手を導き投げるには、自らが整っていることが大前提です。したがって、盤石な姿勢を身につけることが上達の近道であり、それには道場での稽古だけではなく、日常での工夫が大切です。
私は内弟子時代、どうしたら盤石な姿勢になるかを日々考え、いろいろ実験していました。
電車やバスに乗るときは、座席に座らず、立っている状態で、揺れに対してバランスを保つことを心がけていました。急ブレーキの影響で周囲の人に迷惑をかけてはいけないので、つり革を軽く持ち、ただし全く頼らずに立つようにしました。何度も繰り返すうちに分かってきました。
始めのうちは揺れに対して「動かないように」していましたが、かえって揺れの影響を受けて、姿勢は簡単に乱れてしまいます。また、意識してバランスを取ろうとしても上手くいきません。
あるとき、早朝から夜まで稽古して疲れ切った状態でバスに乗り、立ってはいたものの、姿勢のことをすっかり忘れていました。そのとき急ブレーキが! しかし、バランスは崩れませんでした。
なぜ、意識するときに出来ず、意識していないときに出来たのか。
私は「安定」の意味を履き違えて、「固定」と間違えていたのです。「動かないように」という目的だと、身体は固まってしまって、外から働く力に対応できずに揺れを吸収できなくなります。
また、バランスを意識するときは部分的に身体を使うことが多く、両足をふんばった状態では上半身と下半身が別々になって、下半身は固定され、上半身だけでバランスを取ることになります。
固定した結果、全身を一つに使えていなかったことに気がついたのです。これを解決したのが「臍下の一点」でした。臍下の一点に心が静まっているとき、全身は一つになっています。
電車やバスの話に戻れば、揺れに対して最も安定するのは、臍下の一点に心が静まり、全身で無意識のうちにバランスが取れているときで、この状態だと外からの影響に柔軟に対応できるのです。
ところが、「動かないように」と揺れに対して逆らうことによって、身体は固まって対応できなくなります。船の揺れでも、揺れに逆らうと船酔いをしやすくなります。
立っているとき、周りの人から見て動いていないように見えても、全身が自在に動くことによって微細な均衡が保たれています。この状態を「静止」といい、固定した状態を「停止」といいます。同じ「止まっている」ように見える状態でも、質的に完全に異なるということです。
姿勢の安定は全ての運動の土台ですが、固定と間違えると、良くなるどころか悪くなります。臍下の一点を確認したら、あとは放っておけば、無意識のうちに全身でバランスが保たれます。
心身統一合氣道の稽古で技の姿勢を氣のテストで確認するときも、「動かない」ことを目的にしている方をみかけます。全身が一つになっているかを確認することが氣のテストの目的です。「全身で支える感覚があるか」を大切にすると、間違いありません。
「安定」は身体の問題だけではなく、心の問題にも当てはまります。
「こうしなければいけない」「こうでなければいけない」などと、私たちは固く考えることがあります。身体の固定があるように、心の固定があります。
心が凝り固まると、外から働く影響に対応できなくなってしまい、大きなストレスを生み出します。人間関係でも衝突が多くなって、疲労困憊してしまうでしょう。
先日、心身統一合氣道の指導者になった方から相談を受けました。指導者としてこうあるべきなのに自分は至っていないのではないか、と悩んでいました。
真面目であることは基本ですが、固まってしまってはいけません。一つずつ積み重ねていけば、実力も技能も必ず向上していきます。完璧な指導者など存在するはずがなく、「今の自分にできること」を思う存分、発揮すれば良いだけです。
対話を通じて氣の滞りが解消したようでした。
氣が出ているとき、心は自在に動きます。そして、心は自在に動くのが本来の姿であり、それが自然の状態です。「心が安定する」とは、心が固まることなく、物事に柔軟に対応できることです。
「気にしないように」「反応しないように」は心の固定です。人から言われることが気になったり、人間関係でぶつかったり、過剰に反応したりするとき、たいていは心を固定しています。
安定と固定の違いを正しく理解すると、心の安定が得られます。心の安定を得るための具体的な訓練法が「氣の意志法」です。ご存知の方は、日常生活で実践して参りましょう。