氣合い

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私は心身統一合氣道の継承者です。

継承者として指名される前に、先代の藤平光一先生から幾つか課題を出されました。その最後の課題が「氣合い」でした。

当時、藤平光一先生の生家の代官屋敷には広い竹林がありました。そこに木剣を持っていき、剣を構えた状態で氣合いをかけるのです。

一週間に一度、この試験がありました。「イエイ!」という音で氣合いをかける、ただそれだけなのですが、これが最も難しく、半年かかっても許しが出ませんでした。

ただ大声を出すだけでは、屋敷の中にいる藤平光一先生に届きません。音が散ってしまうような感覚で、喉もすぐに潰れてしまいます。

何度も声を枯らしてしまう私に、藤平光一先生はこう声をかけました。

「お前はただ大声を張り上げている。氣合いとは、呼吸なのだよ」

あまりに出来ない自分に落胆し、あるとき気分転換で外に出ました。

空気が澄んだ冬の夜でした。辺り一帯には人も建物もありません。気温が低いと音がよく響くと言いますが、外に出て氣の呼吸法をしていると、遠くから動物たちの鳴き声が聞こえます。

呼吸が静まっていき、心地良く息を吐けるようになったときに、ふと出来そうな氣がして、「イエイ!」と気合いをかけてみました。すると、今まででは考えられないくらい、音が拡がっていきます。

「ああ、これだ!」

「声を発する」ということは「息を吐く」ということ。大声を出そうとするときは、身体に力みが生じ、呼吸が浅くなる。「声」の質は「呼吸」の質、だから深い呼吸を目指せば良いのだ!

それ以来、気合いをかけるよりも、氣の呼吸法をしっかり実践し、「身体のどこにも力みがない状態で息を吐く」訓練を始めました。

無限小に静まった状態から音を発して、また無限小に静まった状態に戻っていく。始めも、終わりも、波立って静まらないときは、上手くできないことも身体で理解しました。

そこから1ヶ月ほど経ったある日、いつも通りに竹林で気合いをかけた後、屋敷にいる藤平光一先生の元に戻ると、「それで良い。今日はここまでしっかり届いていた」と無事に合格となりました。

最後の課題を達成した瞬間でした。

それから様々な変化が表れました。

道場では号令が遠くまで響くようになり、よく伝わる指導になりました。人間は全身で音を感じていると言われていますが、発声が変わることで、明らかに周囲に与える影響が変化しました。

不思議なことに、英語の会話でも、よく伝わるようになりました。講演などで一日中、話をしていても、喉はつぶれなくなりました。交渉事も以前よりもスムーズに運ぶようになりました。

発声によって様々なことが変わっていったのです。

「氣」の観点でいえば、氣が通っていると、小さな声でも遠くに伝わります。反対に、氣が滞っていると、大きな声でも近くに伝わりません。

リラックスすることによって周囲に「氣」が通うのですから、どこにも力みなく息を吐くことが、最短で身につける方法だったのでしょう。

この経験から、舞台関係の皆さんによく「氣」を指導させて頂きます。

氣合いや号令をかけると、皆さん、発声にたいへん興味を持ちます。勿論、私は専門的に発声を学んだわけではありませんが、どうやら「声を発する」という土台の部分がそこにはあるようです。

舞台の役者さんも、小さな声でも本当に遠くまで届く人がいます。どれほどの訓練を積み重ねて来たのかと、私自身も積み重ねて来たものがあるので、いつも感動を覚えます。

先日、藤原竜也さん主演の舞台「ムサシ」を観劇して来ました。初演から12年間、この舞台は海を超えてロンドンやニューヨークでも上演され、辛口で知られる英米の劇評家や観客から大絶賛されました。

当時27歳だった藤原さんが35歳の宮本武蔵を演じるにあたって、人としての奥行きを表現するために、料理でいうところの「隠し味」として、心身統一合氣道の門を叩きました。

いま39歳となった藤原さんが演じる宮本武蔵は、それはもう圧巻でした。心から素晴らしいと感じた舞台でした。

氣の呼吸法で得られることは、様々なことに通じているようです。

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