全身で捉える

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私には、子どもの頃からお世話になっている歯科医の先生がいます。

先日、クリニックでの検診でたまたま一緒になった方で、全盲の大学教授(心理学:聴覚振動知覚)をご紹介頂きました。

明るく朗らかな方で、すぐに打ち解けて話をさせて頂きました。NHK総合「あさイチ」に私が生出演した回をご覧頂いていたようでした。

あまりに自然なので始めは氣がつきませんでしたが、相手の姿は見えていないはずなのに、相手に心をしっかり向けてお話になります。

その後、教授のご著書を拝読して、その意味が分かりました。

音が描く日常風景 : 振動知覚的自己がもたらすもの
伊藤精英(著) 金子書房

教授はスポーツの事故で失明をした後、視覚以外の複数の感覚が、有機的に組織化されていくプロセスを経験されたそうです。

本では、音がいったい何を指し示すのか、音をどのように聴いているのか、音が生活とどのように結びつくのかが書かれていました。

一例をあげれば、音を聴くことで障害物の位置を把握しているそうです。健常者が目隠しをして一時的に視覚情報を遮断したとしても、同じことをするのは難しいとのこと。

人間の身体は本当にすごいもので、一つの感覚を失ったとしても、他の感覚がそれを補っていくことが分かります。全身を一つとしてみれば、部分が相補的に機能しているのです。

教授は、「音」を通じて私を「見ていた」のでした。

心身統一合氣道会でも、全盲の指導者が活躍しています。

健常者と同じ様に昇段審査を受験して、見事に合格しました。審査を見守っていて私が最も驚いたのは、視覚の情報がないにも関わらず、前回り受身をしていたことでした。

視覚以外の複数の感覚によって、距離を正確に掴んでいるからこそ、安全にできるのでしょう。

全身を一つに捉えることを「統一を保つ」といいます。反対に、身体を部分で捉えることを「統一を乱す」といいます。

技の稽古で、相手を投げようとして腕や肩に力みが生じるのは、まさに身体を部分的に使った結果、統一が乱れているのです。

心身統一合氣道の技は、統一を保つことによって初めてできます。全身を一つに用いて投げるときにできるのです。

初心者の皆さんは「統一を保つ」と言われても感覚が分かりませんので、「折れない腕」を稽古します。

片腕を前に出して、パートナーにその腕を力いっぱい曲げさせます。

「曲げられないように」と腕に力が入ると、土台が崩れてしまい、結果として腕は曲がってしまいます。

バランスの取れた姿勢を確認した後、土台を保ってさえいれば、相手がどれだけ力いっぱい曲げても影響を受けません。

「部分」で支えるのではなく「全身」で支えることによって、ほとんど力を入れていないのに影響を受けなくなることを体験し、「全身を捉える」という感覚を初めて得られるのです。

心身統一合氣道の稽古で最も重要なのは「土台づくり」です。全身で捉えることで、持っている力が存分に発揮されます。

まさに「全身全霊」です。

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