先代の藤平光一先生はたいへんな酒豪でした。私は酒豪とは程遠いので、少量のお酒を美味しく頂きます。
「農口尚彦研究所」という石川県の日本酒があります。
杜氏の農口尚彦さんは現在86歳。82歳で引退されましたが、2年間のブランクを経て、酒造りに復帰されました。「若手杜氏の育成」という大きな目標を持った復帰でした。
あるご縁で、私は杜氏のつくられたお酒を、杜氏とご一緒に頂いたことがあります。私のような若輩に杜氏自ら次々と御酌をして下さるのですが、不思議なことに、杜氏はほとんどお酒を召し上がりません。
私からお酒をおすすめしようとすると、丁重に遠慮なさって、にっこりと「私は下戸で、酒はほとんど飲めないのです」と言われます。
私には「杜氏=お酒を飲める人」という先入観があったので、このお言葉に驚いてしまいました。
そして、お酒を楽しむ私に杜氏は率直な感想をお尋ねになります。酒造りの知識のない私の言葉であっても、真剣にお聴きになります。
後から知ったことですが、杜氏はお酒を飲む人の話しを直に聴き、それに基づいて酒造りをなさっているとのこと。試飲会でも、杜氏自ら最後までお客さんの相手をされるそうです。
ご自身がお酒をたくさん召し上がらないからこそ、相手がどのように感じているか、相手がどう受け取っているかをとても大切になさっているのでしょう。
杜氏は、これまでの酒造りをノートに記録を取っているそうです。ご自身の経験に基づき、酒造りの普遍性・再現性を高めています。その上で、実際にお酒を飲む人と向かい合っています。
また、酒蔵では日々身を粉にして、麹菌・酵母菌と向かい合っています。杜氏は「菌はものをいわないから」といわれます。菌を中心とした生活をしているといっても過言ではないでしょう。
杜氏として、「相手の立場に立つ」ことを実践されていたのでした。
経験や実績を積み重ねていくと、人は「理解した」氣になるものです。ひとたび理解した氣になると、自分の流儀を押し通すようになり、相手と向かい合うことが疎かになります。
それが、成長発展の最大の妨げになるのです。
これは、指導の現場にも通じることです。
相手がどのように感じているか、相手がどう受けとっているか、「相手の立場に立つ」ことによって指導技能は磨かれていきます。それがなければ、相手不在の押しつけの指導になってしまいます。
指導の経験や実績が増えれば増えるほど陥りやすいところで、私も肝に銘じなければいけない、と思いました。これを防ぐためには、「天地を相手にする」姿勢に立ち返るしかありません。
杜氏とご一緒させて頂いた時間は、掛け替えのないものとなりました。最も大事な姿勢を再認識するきっかけを頂きました。
先月、北陸に行く機会がありました。そこで、石川県小松市にある「農口尚彦研究所」の酒蔵まで足を伸ばすことにしました。
酒造りにいちばん大切なものは自然環境といわれています。水も空氣もきれいなこの地域は、観音下町(かながそまち)といい、日華石(にっかせき)の産地としても有名です。
酒蔵には、茶室をコンセプトとした「杜庵(とあん)」があります。茶室と同様の四畳半の広さで、12席のカウンタースペースがあり、四季折々の里山の情景を愛でながらテイスティングを出来ます。
その杜庵で、「酒事(しゅじ)」という日本酒体験をして来ました。五感が存分にはたらく、言葉では表すことが出来ない素晴らしい体験でした。
今はシーズンではなく酒造りを見ることは出来ませんでしたので、今度はシーズン中に再訪したいと思います。
心から美味しいと感じるお酒です。