幸せは人それぞれ

 

あなたは、何をしているときが幸せですか。

目標を達成できたとき。欲しいものが手に入ったとき。美味しいものを食べているとき。仕事終わりの一杯。

こういったときは、確かに幸福感に満ちているかもしれません。

しかし、もし特別なことがなければ幸せでないのだとしたら、幸せではない時間の方が長いことになります。

藤平光一先生は「何もしなくても感じる幸せ」を大事に説きました。

安全に生きられる環境に恵まれて、心身ともに健やかであれば、それだけで最高に幸せなことです。

そういったことが当たり前になると、幸せであることに慣れて、何も感じなくなってしまいます。感謝の念も持てなくなります。

幸せは、なくしてから氣づくことも少なくありません。

心身統一合氣道の道場では、稽古の最初に必ず正面に礼をします。

いまこうして稽古ができるということは、心身共に健やかで、経済的にも時間的にも許されているわけです。

稽古できることを、天地自然に感謝しているわけです。

次に、稽古をする相手とお互いに礼をします。

相手がいてくれるからこそ、技の稽古をすることができます。稽古できることを、相手にも感謝しているわけです。

「幸せを感じる」ことと「感謝する」ことは繋がっています。

形だけの感謝の言葉や行動には、実体がありません。したがって、日々の稽古の礼も実(じつ)がなければいけません。

「何もしていなくても感じる幸せ」は、とても大事なのです。

幸せを感じなくなる原因の一つが「他者と比較する」ことです。

幸せは人それぞれのはずなのに、誰かと比較することによって、幸せを感じられなくなるのです。

先日、一緒に仕事をしている方のお招きで会食をしました。

隣のテーブルで食事していたご家族がいました。聞くつもりはありませんが、父親の声が大きいので耳に入ってきます。

「あの店の方が美味しい」「あの店よりサービスが劣っている」と、総てにおいて、他のお店と比較をしていました。

せっかくの家族との食事なのに、何だかぎすぎすとした雰囲気でした。一緒にいるお子さんも、しょんぼりとして見えました。

勿論、美味しい・美味しくない、好みに合う・合わないはあります。

しかし、どんな料理やサービスであっても、常に比較をしていたら、今、この瞬間を感じることができなくなります。

インターネットが普及して、「比較する」ことがしやすくなりました。

比較すること自体が悪いわけではありませんが、SNSが普及したことで、他者が発信する幸せに、頻繁に触れるようになりました。

そして、自分の幸せと比較することが多くなりました。他者と幸せを比較した瞬間、その幸せはなくなってしまいます。

繋がりによって氣が出るどころか、氣が滞って悪循環に陥ります。SNSは便利ですが、使い方には注意が必要です。

氣の滞りを防ぐには、他者の幸せと比較しないこと。すると、日々の生活で、実にたわいもないことが幸せに感じます。

幸せは人それぞれなのですから。

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