《音声付き》点ではなく流れをみる

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藤平光一先生の内弟子時代、私が徹底して教えられたことの一つに「点ではなく流れをみる」があります。

地図は一部分だけでは意味を成さないように、全体があるからこそ、部分が意味を持ちます。

全体をみることで、物事を「点」ではなく「流れ」で捉えられます。

昨年、出版した新書で対談させて頂いた東京大学の西成活裕教授が、「流れ」について平易に説明して下さいました。

例えば、エスカレーターに乗るとき。

エスカレーターの一段一段を意識すると、流れが分からなくなり、いつも簡単に乗れているはずなのに、動作がぎこちなくなります。無意識のうちに流れをみているから、スムーズに乗れるわけです。

なるほど、日常生活でも、流れをみている場面がたくさんあります。

仕事の段取りにおいても「流れ」は重要です。

一つ一つの行動や判断を「点」でみていると、繋がりとして捉えられないので、「流れ」を理解することが出来ません。実際、段取りを苦手とする人は、「点」で捉えていることが多いようです。

内弟子時代は、仕事の段取りを立てることを通して訓練を受けました。

あるとき、栃木の本部施設にある不要な物を一度に破棄する機会があり、私が責任者となって段取りを立てることになりました。

総ての手順を書き出して、スムーズに進むように段取りしましたので、荷物を建物の外に運び出すところまでは極めて順調に進んでいました。自分の描いた通りに進んで悦に入っていました。

ところが、手違いにより回収業者が来ないことが判明したのです。天候も悪くなる予報で、荷物をそのまま外に放置することも出来ず、せっかく外に運び出した荷物を、建物の中に戻すことになりました。

回収業者の手配を他のスタッフにお願いしていたのですが、きれいに忘れられていたのでした。数人がかりで半日かけた作業が無駄になってしまったのです。

自分の中では「流れ」を描いたつもりが、実際には流れが途中で滞っていました。流れを確認する「ひと言」さえあれば防げたことです。

そんな私をみて藤平光一先生は、そんなことでは「てん」で話にならないと、にこやかに冗談を言われていました。

「自分のみえる範囲」、部分だけをみては機能しないことが、大事な教訓として私の心に深く残りました。これ以来、私は全体の流れをみることを徹底するようになりました。

このような失敗から学んでいくうちに、道場で教わっていることの意味が、肌で理解出来るようになりました。

技の稽古では、氣の動き、すなわち「流れ」をみることが不可欠です。

例えば、相手が拳で突いてくるとしましょう。

相手の手をみることは、相手の全体ではなく部分をみることです。すると、みえる範囲は狭くなり、氣の動きは分からなくなります。氣の動きが分からないと、相手の動きに遅れてしまいます。

相手の顔をみて、全身が視界に入っている状態でいれば、みえる範囲は広くなり、氣の動きが良く分かります。氣の動きが分かるからこそ、相手の動きに瞬時に対応出来るのです。

稽古で学んだことを日常生活で実感を得ることで、深い理解に繋がります。これこそ「生活の中の合氣道」です。

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