「氣を出す」とは何か(2)

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私が指導者となってからの話です。

藤平光一先生の内弟子修行が始まり、間もなく指導の現場を頂きました。20人ほどの皆さんが通う大人クラスでした。大学合氣道部で稽古の統率を取る経験はありましたが、氣の理解は足りず、指導技能も不十分で、人間性も未熟な中での指導でした。

始めは多くの人が通って下さっていましたが、一人、また一人と減って、冬の氣候が厳しい時期には、ついには男性お一人になってしまいました。その方もおそらく「自分が休んだら稽古が成り立たなくなってしまう」と、責任感で通って頂いていたのかもしれません。

師匠からお預かりしたクラスを、ここまで人を少なくしてしまったことに、私はいたたまれない氣持ちになっていました。そんなときは、不思議と技もうまくいかないことが多かったのです。

私が相当に思い詰めた顔をしていたのでしょう。あるとき、ついに稽古のことで藤平光一先生から呼び出されました。

師匠 「最近、稽古に来る人が少なくなっているそうだな」
私  「申し訳ありません!一生懸命やってはいるのですが
師匠 「お前は自信がないのだな?」
私  「はい。うまくいかない技もたくさんありますので」
師匠 「なぜ、うまくいかないか分かるか?」

「なぜ」と言われても、それが分かっていれば苦労はありません。何も答えられず、私は黙り込んでしまいました。

手を抜いていることは一つもない。単に実力の問題ではないだろうか。あるいは、自分には才能がないのではないだろうか。そんな私の考えを総てお見通しだったのでしょう。

師匠 「実力や才能ではない。それは、お前が氣を引いているからだ。出来ないことではなく、出来ることに心を向けなさい」

それだけ私に伝えて、藤平光一先生はその場を後にしました。

私は心身統一合氣道の継承者となるべく修行を始めましたので、皆さんに認めて頂けるかどうかばかりを考えていました。今の自分に出来ること以上のことをやろうとしていたのですから、出来ないことを一生懸命やっていたのと同じです。

それでは、いまの自分にいったい何が出来るだろうか。始めは何もないかと思いましたが、冷静になればたくさんありました。

稽古に来られる皆さんが、少しでも氣持ちよく過ごすことが出来るよう、今まで以上に道場を掃き清めることが出来るのではないか。

心からプラスの笑顔で皆さんをお迎えしたり、お見送りしたり出来るのではないか。

自分には何の解決も出来ないとしても、一人一人にしっかり心を向け、お話をお聴き出来るのではないか。

こういったことであれば、指導技能に関わらず出来るはずです。自分には能力や才能がないと決めつける前に「出来ることに全力を尽くしてみよう」と心に決めたのです。

それでも、しばらくは人数が少ない期間が続きました。冬が終わり春を迎える頃になって、稽古に来られる方は徐々に増え、初夏の頃には、最初にお預かりした人数よりも多くなっていました。

何よりも不思議だったのは、それまで全くうまくいかなかった技が、自分でも驚くほど出来るようになっていったことでした。「心身統一合氣道の五原則」の最初は「氣が出ている」なのですから、今となれば決して不思議なことではありません。

 「出来ないことにとらわれて思い悩むのではなく、出来ることをみつけて全力を尽くす」

これこそ「氣を出す」ことだと、過去の体験と繋がったのでした。

今でこそ、私は国内外で多くの皆さんに指導させて頂いていますが、このときの初心を忘れず、指導の現場に立ち続けたいと思います。

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