天地を相手に生きる

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藤平光一先生は「天地を相手に生きる」ことを大切に説きました。

私たちは、自分自身の経験に基づき、様々な価値観を持っています。勿論、それは必要なものではありますが、自分の「物差し」なので、物差しそのものがズレてしまうと大変なことになります。

しかも、その「ズレ」は日々、少しずつ進んでいくものです。

いちどにたくさんズレれば、その変化に氣づくことは容易です。しかし、日々少しずつ進んでいくズレは氣づくことが難しく、突然、大きな不具合が生じて、はじめて自覚することになります。

元々は謙虚であった人が、業績を上げるうちに傲慢になっていって、周囲の心ある人が去っていく、ということがあります。

成功を繰り返すうちに、過去に縛られてワンパターンに陥ったり、慢心が生じたりして、致命的な失敗をすることもあります。

最初は「これはいけないことだ」と認識していたとしても、「このくらいは許されるだろう」と自分から許容範囲を広げていき、最後はとんでもない結果になってしまうこともあります。

いずれも、自分の物差しが少しずつズレていくことで生じるもので、自分の物差しをあてにしてはいけない、ということです。

これを防ぐのが「天地を相手に生きる」ことです。

天地とは「天」と「地」ではなく、「天地自然」を指しています。そして「天地を相手に生きる」とは、自分の物差しを基準とせず、天地自然の理を基準に置いて生きることを意味しています。

この度の新刊でも、堀威夫さんは「座標軸を常にゼロに置く」とか、「自分ではなく、お天道様が決めている」といった表現で、自分の物差しではかる危険性について触れていらっしゃいます。

先週あるご縁で、二日間ほど自然の中で過ごす機会がありました。

パソコンやスマートフォンを手放し、ただ自然を感じて過ごす時間は、余分な考えが削ぎ落とされ、大事なものだけが残る感覚がありました。複雑に考え過ぎていたものが紐解かれていくような感じでした。

そして、もっとも大きい氣づきは、自然の中から現実社会に戻ってから訪れたように思います。

私自身もいつの間にか自分の物差しで物事をみるようになって、少しずつズレてきていたようです。何か一つのことに対してではなく、総てのことに対して、だからです。

心身統一合氣道の稽古は、天地自然の理に則して行うものです。自然な姿勢、自然な動きは、自然な心の状態から生まれます。堀さんも、自然体を身に付けるために稽古に通っていると言われます。

私自身も、その基本に立ち返りたいと思います。

「氣」の新書シリーズには毎回、各分野の方との対談があるため、出来上がった本を読み直してみると、自分自身も学ぶことばかりです。今回の堀さんとの対談は、本当に奥行きのあるものになりました。

心身統一合氣道を稽古なさっている皆さん、心身統一合氣道会に関心のある皆さんには、ぜひお読み頂きたいと思います。

心身統一合氣道会は新年度を迎えました。皆様と共に稽古に励んで参ります。どうぞ宜しくお願いいたします。

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