
私が子どもの頃にピアノのレッスンを受けていたことは、これまで何度か触れてきました。
先日、35年の時を経て、当時ご指導いただいていた先生から再びピアノのレッスンを受ける機会がありました。改めて鍵盤に向き合い、先生のお言葉に耳を傾ける中で、当時に教わった記憶が鮮明に蘇ってきました。
例えば、楽譜にフォルテの指示があったときのことです。当時の私は、フォルテを見るやいなや、指示通りにただ強く弾いていました。指示を守ることが目的になり、流れが滞ってしまっていることに気がついていませんでした。すると、先生はこう仰いました。
「フォルテは、ただ大きな音を出すことではないのよ。なぜ、ここがフォルテになるのか分かるかしら」
指示通りにすることしか頭になかった私は、このとき初めて「なぜその指示になるか」を理解する大切さを知りました。指示をなぞるだけでは、前後の繋がりを失い、力んだ音が唐突に鳴るだけです。全身の感覚を通じてその「なぜ」を理解してこそ、その曲が本来持つ響きが生まれるのです。
このプロセスは、心身統一合氣道の稽古でも全く同じことが言えます。
「こういう形(動き)です」と示されたとき、多くの人は目に見える形を正確に再現することに意識を向けます。しかし、形をなぞるだけでは技を体現することはできません。「なぜ、その形になるのか」という理を身体で理解して初めて、体現できるのです。
例えば、「足を引き寄せてください」という指導に対し、ただ足を動かすのではなく「なぜそれが必要なのか」と問い、実際に身体を使ってやってみることです。すると、それがどちらの方向にも瞬時に動けるための準備であることを、実感として理解できるはずです。
単に指導に従うことだけにとらわれていると、氣が切れてしまい、身体が強張って動作はぎこちなくなります。形(動き)を見ただけで「分かった」と思いたくなるのは、早く正解に辿り着きたいという焦りからかもしれません。しかし、表面的な形をなぞることに満足していては、成長は止まってしまいます。
着実に成長する人は、「なぜ」という問いを無数に重ねています。しかも、それを頭だけで終わらせず、身体を使って実感を伴って理解しようと努めます。
指導する側が形を示すだけで終わり、学ぶ側もまた、示された形を単なる視覚的な情報として受け取るに留まっていては、その技が本当に意図している動きにはならないのです。
重要なのは「こうすれば、こうなる」という即物的な因果関係に留まらず、「なぜそうなるのか」という理を、自分自身の身体を通して理解することです。これこそが、「真似る」ことが「体現する」ことに昇華する瞬間です。
このことは、人を育てる場においても非常に重要な意味を持ちます。
育成において、知識や情報を与える以上に大切なのは、相手が「なぜ」という問いを常に持てるように導くことです。手法としての「やり方」だけを提示するのは容易ですが、それでは一時的な対処に過ぎません。
なぜその言葉がけが必要なのか。なぜその姿勢が相手の成長に繋がるのか。そうした根底にある「心の置き所」や「向き合う姿勢」を理解して初めて、相手の心に届くようになります。
育成する側にとっては、正解だけを教えるのに比べて手数が増えて大変ではありますが、それこそが真の育成だと私は考えます。相手から「なぜ」を問われることで、育成する側もまた自らの理解を深めざるを得なくなり、結果として双方が共に学んでいく関係が築かれるのです。
「なぜ」と自分自身に問い続けることは、時に遠回りに感じられるかもしれません。ですが、その一歩一歩の積み重ねこそが、どのような状況でも通用する実力となります。私自身、今でも無数の「なぜ」と向き合い、その答えを身体で探し続けています。
あなたが日頃、当たり前のように守っている「手順」や「指示」に、一度「なぜ」と問いかけてみませんか。

