
日本各地で春の兆しが訪れる季節となりました。
年度替わりを迎えるこの時期は、新生活への準備などで、心身ともに慌ただしく過ごしている方も多いのではないでしょうか。周囲が目まぐるしく動き出すと、私たちの心もつい落ち着きを失いやすくなります。
一般的に「落ち着く」というと、活動を控えたり、動かずにじっとしていたりする状態をイメージされるかもしれません。しかし、心身統一合氣道が説く「落ち着き」とは、単に動きがないことではありません。
皆さんは、子供の頃に遊んだ「コマ」を覚えているでしょうか。
力強く回っているコマは、中心が定まると、遠目にはまるで止まっているかのように静かに見えます。しかし、その内実にはエネルギーが満ちています。もし回転が弱まれば、コマは不安定に揺れ始め、外からの僅かな衝撃で簡単に倒れてしまうでしょう。
つまり、あの「静けさ」とは、決して無気力に止まっている状態を指すのではありません。中心が確立されることで、エネルギーが安定している姿なのです。藤平光一先生は、この状態を「静は動の極致である」と説きました。
これを私たちの心に当てはめてみましょう。心の状態において、止まっているように見えても、実は質の異なる二つの状態があります。
一つは、心の「停止」状態です。予期せぬトラブルに直面して心がフリーズしてしまうと、視野は狭くなり、周囲の状況を把握する余裕がなくなります。エネルギーが活用されず、滞ってしまっている状態です。この状態では外からの影響に翻弄され、適切に対応できません。
もう一つが、私たちが目指すべき心の「静止」状態です。それは激しく回るコマのごとく、エネルギーに満ち、揺るぎない安定を保っている状態を指します。臍下の一点に心を静め、自身の中心を維持することで、周囲がどれほど慌ただしく動いても落ち着いて対応できます。
ここで重要なのは、静止状態とは感受性が鈍くなることではないことです。むしろその逆で、心が静まるほど感受性は豊かになり、周囲の状況をより正確に把握できるようになります。
水面が鏡のように静まれば、空の月も枝の鳥も、ありのままの姿を鮮明に映し出します。もし水面が波立っていれば、映る像は歪んでしまうでしょう。心が静まっているからこそ、私たちは物事の本質を捉えることができるのです。
感情を力ずくで抑え込む必要はなく、臍下の一点に心を静めれば、たとえ大きな波が立っても、自然と元の静まった状態へと戻っていきます。そうなって初めて、私たちは大事に臨んで平常心を失わず、持っている力を発揮できます。
どれほど慌ただしい日々の中でも、自分の中に静寂を保つ。豊かな感受性を持ちながら、感情の波に振り回されない。古くから言われる「忙中閑あり」とは、忙しくしている合間に時間を作り出す、という意味だけではありません。
真の「落ち着き」とは、エネルギーに満ちあふれている状態なのです。

