
心身統一合氣道の稽古において、最も大切な教えは「氣を出す」ことです。
「氣を出す」と聞くと、どこか抽象的で、精神論のように捉える方がいらっしゃいますが、それは本来の意味と異なります。「心で思う」ことでも「頭で考える」ことでもありません。氣を出すとは「行動する」ことであり、具体的なアクションそのものを指します。
このことを教えてくれたのが、私が子どもの頃に目の当たりにした出来事でした。
当時、道場に熱心に通われていた一人の男性がいました。この方は、あるとき不慮の交通事故に遭い、車椅子での生活を余儀なくされてしまいました。
周囲が「稽古を続けるのは難しいのでは」と案じていたある日、付き添いの方と共にその方は道場に現れました。そして、「予定通りに審査を受けさせてほしい」と願い出たのです。「動くことはできませんが、号令をかけることはできます」――覚悟が込められた言葉でした。
現場では「審査で特別扱いはできない」という否定的な声が大勢を占めましたが、この話を耳にした藤平光一先生は、指導者たちを集めてこう一喝しました。
「お前たちは日頃、道場で何を教えているのか!確かに、事故によって技はできなくなった。しかし彼は、できないことに悲嘆せず、今の自分にできることを探し出し、そこに全力を尽くそうとしている。これこそ、氣を出すということだ」
審査に臨んだその方が発した号令は、道場全体に響き渡るほど見事なものでした。藤平光一先生は「合格です」と最大の賛辞を送り、その方は目に涙を浮かべながら「これからも氣を出して生きていきます」と答えました。その後、懸命なリハビリの末に社会復帰を果たしました。
氣を出すことによって、人生の歩みを自らの手で進めたのでしょう。
私たちが困難に直面するとき、目の前は往々にして「できないこと」で埋め尽くされます。しかし、できないことに心がとらわれると、氣はたちまち滞り、活力は失われていきます。
どれほど困難な状況に見えても、今の自分にできることは必ず存在します。「できないこと」に悲嘆せず、「できること」に全力を尽くすこと、それこそが、氣を出すことです。
日常生活においても同じで、やる気が湧くのをただ待つのではなく、どんなに些細な事柄であっても、目の前の「できること」において行動を起こすことが、氣を出すことです。
「氣を出せば、新たな氣が入ってくる」という性質があります。まず自ら氣を出すことで、氣の滞りが解消されていきます。結果として、私たちは初めて「氣が出ている(氣が通っている)」という心身共に充実した状態に至ります。
氣が出ているか、あるいは氣が滞っているか。この違いは、日常のあらゆる場面における「感じ方」や「物事の捉え方」に如実に表れます。
氣が出ているときは、食事の味わいを鮮明に感じ取ることができ、周囲からの厚意も心から有り難く受け取れるものです。反対に、氣が滞っているときは、どれだけ美味しい食事も味気なく感じられ、誰かの親切すら煩わしく思えてしまうかもしれません。
明るく前向きな毎日を望むならば、常に「氣が出ている」状態を維持することです。そのためには「氣を出す」ことで、それは、今この瞬間に自分ができる一歩を踏み出すことなのです。
私自身も日々、氣を出すことを実践しています。

