ハワイでの講習会で、私が藤平光一先生のお供をしたときの話です。
アメリカ人の青年が母親と一緒に見学していて、講習が終わった後に藤平光一先生にところに挨拶に来ました。
お母様の話を聞けば、藤平光一先生が合氣道の普及のためハワイに長期滞在していた時期に、お子さんを道場に通わせていたようでした。
当時はひどい悪戯っ子で、お母様はたいへん手を焼いていて、道場に救いを求めていたそうです。
藤平光一先生もすぐに思い出して、会話に花が咲いていました。当時を知らない私のために、お母様が詳しく話をしてくださいました。
お母様が最初にお子さんの相談をしたとき、「息子は落ち着きがなくて悪戯ばかり、良いところが一つもありません」とこぼしたそうです。
それを聞いた藤平光一先生は、「どの子にも必ず良いところがあるのだから大丈夫。一度、道場に連れていらっしゃい」と、稽古に参加させて様子を見ることにしました。
実際に会ってみると、なるほど、ものすごい悪童で、さすがの藤平光一先生も手を焼いたそうです。その様子を見ていたお母様も「ほら!私の言った通りでしょう?」という表情……。
稽古後に藤平光一先生はそのお子さんと二人で話をすることにしました。てっきり怒られると思ったのでしょう。身を小さくしています。
「君の良いところを見つけようと思ったが、今日は見つけられなかった。次こそ必ず見つけるから、また稽古にいらっしゃい!」
お子さんは怒られないと分かって安心したのか、「分かった!また来る!」と言って、元氣に帰って行きました。
その後、お子さんは稽古を始めました。良いところを見つけるたびに、藤平光一先生は「良いところを見つけたよ!」と声をかけ続けました。稽古を見学していたお母様は、そのやり取りを見守っていました。
そのうちに、少しずつ落ち着きを見せ、お母様を悩ませていた行動も少なくなっていきました。その変化をみたお母様は、自分が子どもの悪いところばかりを意識的に探していたことを自覚したのだそうです。
藤平光一先生が日本に帰国する際に見送りに来たお子さんは、泣いて、しばらく側を離れようとしなかったそうです。
それから20年が経ち、その悪童が立派な青年となっていたのでした。
お母様も大きくなった我が子を「親思いで自慢の息子です」と言われ、「あのときの経験が私たちの人生を変えました」と涙ぐみながら、藤平光一先生に感謝を伝えていました。
このときの親子の表情が、今でも私の印象に深く残っています。
「悪いところを直す」のではなく「良いところを伸ばす」、頭では理解できても、実行するのは簡単なことではありません。
良いところを伸ばすためには、時間と手間をかけて、相手の良いところをみつける必要があるからです。少し触れただけでは分からないことが多く、愛情をもって、注意深くその人をみることで理解できます。
相手を理解することではじめて相手は良くなります。そのために、「心を静める」「呼吸を静める」といった訓練が大きな助けとなるのです。
悪いところを指摘するだけであれば、そこまで努力は必要としません。手っ取り早く安易だからこそ、そこに陥りやすいのでしょう。しかし、悪いところを指摘するだけでは決して良くなりません。
心身統一合氣道の稽古においても同じこと、「悪いところを指摘する」だけでは指導とはいえません。指導とは「相手ができるようになるまで導く」ことであり、だからこそ指導者は常に学ぶ必要があるのです。
野球評論家の広岡達朗さんは、歯に衣着せない発言をされます。
広岡さんは「良いものは良い、悪いものは悪い」と忖度無く述べているだけで、「どうしたらその人が良くなるか」をよくみて、考え続けています。いったん育成すると心に決めた相手は、最後まで面倒をみます。
私は、そこに指導者としての「あるべき姿」を感じるのです。
ときに私自身も、相手の「足りないところ」に目がいきます。その都度、「良いところを見つける」基本に立ち返っています。