理解は氣で伝わる

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大学受験のために、駿台予備学校に通っていた頃の話です。

秋山仁先生(現:東京理科大学特任副学長)の数学の授業がありました。この授業は無類に面白くて、受験のための勉強が好きでなかった私も、欠かさず出席していました。

秋山先生の授業の特徴は、「なるほど!」「分かった!」と感じることで、数学の「奥行き」すら理解できたような気持ちになりました。

ところが、自宅に帰ってから自力で解こうとすると全くできません……。授業であれほど明解になったはずなのに、です。

この謎の現象を何度も繰り返すうちに、「ある事」に気がつきました。

秋山先生の授業は、先生自身が「理解する」感動で溢れていて、その「氣」が伝わって、私まで理解できたように感じていたのでした。

本当に理解するためには、それだけの努力や積み重ねが必要なわけですが、最初に「難しい」と感じたり、先生のこと自体が嫌いになったりすると、やる氣がなくなってしまいます。

言い換えれば、秋山先生はやる氣を引き出す授業をしていたのです。

後に知りましたが、秋山先生ご自身は学生時代は決して成績優秀でなく、受験も失敗し、研究者になってからの人生も挫折続きであったとのこと。予備校での指導も、研究者としての資金調達だったそうです。

秋山先生は、高校で出会った数学教師から「数学の楽しさ」を知って、数学の研究者を志すようになったかとのこと。なるほど、だからこそ楽しさが伝わる授業になるのだなと、深く納得しました。

私は心身統一合氣道の指導者です。奥行きのあることをいかに平易に伝えるか、日々、研究と工夫を重ねています。

もっとも氣をつけていることは、私自身に「理解する」感動があること。

その感動が、「氣」を通じて相手に伝わるからです。道場の指導でも、外部講習でも、企業研修でも同じ姿勢で臨んでいます。

本当に身につけるには弛まぬ努力と積み重ねが必要ですが、その前提には「自分にもできる!」と信じられることが不可欠です。「自分にはできないかも」などと思っていたら、その通りできなくなってしまいます。

「あなたならできる!」と示せる人こそ、真の指導者なのでしょう。

人は「理解できる」と氣が出ます。「理解できない」と氣が滞ります。

したがって、自分が伝えたことによって相手がどのような氣を発しているか、逐一、確認することで相手の理解度が分かります。

相手が理解できてないときは、こちらの伝え方に改善の余地があり、相手が理解できるように研鑽を重ねることで指導技能は磨かれます。

「相手の知らないことを、相手の知っている言葉で伝える」

これは、心身統一合氣道の指導において、もっとも大事な教えの一つです。話して伝える上でも、文章で伝える上でも、同じことです。これを徹底することによって、伝える側の理解も確実に深まっていきます。

私自身も常に心がけています。

ただし、「分かりやすさ」は、良い面ばかりではありません。

頭で理解しただけで「分かった」と思うと、身につけるための努力や積み重ねをしなくなる人が少なくありません。「人を見て法を説け」ということですが、このテーマはまた別の機会に……。

「渋滞学」を提唱する東京大学先端科学技術研究センターの西成活裕教授と対談し、2019年に『コミュニケーションの原点は「氣」にあり! 』という本を出版しました

西成先生が何事においても平易な言葉で語られるのが印象的でした。

対談の中で西成先生は、学生の理解を深めるために「難解なテーマを中学生でも理解できるようにプレゼンテーションする」課題を出していると言われていました。

なるほど、テーマを本当に深く理解していなければ決してできないことで、中学生が知っている言葉で語ることが求められます。

心身統一合氣道の指導者でいえば、「子供クラス」「幼児クラス」で磨かれるのと同じでしょう。「子供だから簡単な内容を伝える」という発想は誤りであり、それではお子さんも指導者も磨かれません。

お子さんの分かる言葉を使うからこそ、「自分にもできる」と思えます。

「伝わる」ということは、本当に奥が深いと思います。

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