昔から「肌で感じる」という言葉があります。
国語辞典では「実際に見聞きしたり体験したりして感じとる」とあり、日常生活でもよく使われる言葉です。
実際に、肌の感覚は極めて重要です。
例えば、足裏の情報。
私たちは足裏からの情報で、無意識のうちにバランスを取っています。その情報がなければ、立つことも、歩くこともできません。
例えば、音の響き方。
音楽を聴くとき、耳から入る情報だけではなく、皮膚で感じています。生演奏の音の響きが異なるのは、全身で感じ取っているからです。
例えば、空気の動き。
私たちは皮膚からの情報で、空気の流れを感じ取っています。「勢い」も同様で、肌から得られる情報で感知しています。
そして、心身統一合氣道の稽古においても、肌の感覚が重要です。
氣が通っている手で相手に触れると、相手が氣を出しているのか、氣を引いているのかが自然に分かります。だからこそ、どのように導けば良いかが分かり、適切に対応できます。
相手を投げることで精一杯になっているときは、この感覚が鈍いので、どうしたら良いかが分からなくなってしまうのです。
それでは、どうしたら肌の感覚が研ぎ澄まされるのでしょうか。
それには「全身に氣が通っている」必要があります。
力んでいるときは、力が入っている場所で氣が滞ってしまうので、肌から得られる情報が少なくなります。
虚脱状態になっているときは、氣が切れてしまっていますので、ほとんど情報が入って来なくなります。
全身の力を完全に抜いて、正しくリラックスをしているときに、全身に氣が通って、肌で感じることができるのです。
多くの技は相手の身体に触れて投げますが、その触れ方が大事で、相手の状態を肌で感じ取ることです。
稽古において、乱暴に触れたり、適当に触れたりしていたら技の上達はありません。相手の状態を正しく理解できるように触れることで技は上達していきます。
私が「肌で感じる」重要性を正しく認識したのは、内弟子時代に氣圧法を深く学んだことがきっかけでした。
氣圧法は、心身統一合氣道に基づいた健康法です。
調子がわるいとき、多くの場合、身体は痛くなるか固くなります。氣が出ている指先を置くことによって、痛いところは軽減していき、固いところは柔らかくなっていきます。
血行が良くなることで、結果として回復が早くなるのです。
しかし、氣圧法を行う者が力んでいたり、虚脱状態だったりすると、相手に触れてもほとんど情報が入って来ません。すると、氣圧法の効果が思うように得られなくなるのです。
正しくリラックスした状態で相手に触れると、相手の痛いところ、固いところが、文字通り「手に取るように」良く分かります。
これと比較して、当時の私の技の稽古での感覚は鈍かったのです。触れ方を研究するようになって、技が変わっていきました。
氣の動きは全身で感じ取るものであり、それには視覚も含まれますが、主たる感覚は肌によるものだと私は考えています。むしろ、視覚にこだわっているときは、肌の感覚が鈍くなっています。
指導者にとって、技の稽古と氣圧法の修練は車の両輪だったのです。
「肌で学ぶ」「肌が合う」など、日本語には肌に関連する慣用句があるのも、日本人がまさに「肌の感覚」を大切にしてきたからでしょう。
日々の稽古で、「肌で感じる」ことを大切にして頂きたいと思います。