藤平信一です。
心身統一合氣道の技の稽古において「ぶつかる」という感覚があります。
技において「相手をこう投げよう」「相手をこう動かそう」として、自分のなかに結論を持った状態で相手と接すると生じる感覚です。ひとたび、これが生じると、相手を導き投げることが出来ません。
そのため、まずは心を静め、相手の状態を理解することを訓練します。そうすると、今度はこの「ぶつかる」という感覚は生じることなく、スムーズに相手を導き投げることが出来るのです。
稽古においてこの感覚を会得することで、日頃のコミュニケーションで、いかにぶつかっているかと氣づく人が多いようです。
かく言う私も、かつてその一人でした。
現在は育成の仕組みを変え、内弟子を採る機会は全くなくなりましたが、当時は常に数名を育成していました。
学びたくて来ているはずなのに、始めは学ぶ姿勢が整っていないので、内弟子たちは、教えたことをなかなか実践出来ません。辛抱強くとは思うものの、イライラさせられる毎日が続いていました。
そんなある日、藤平光一宗主が私のところに来て、こう声を掛けました。
「総ての問題は、向かい合うことで解決に向かうものだ」
言葉としての意味は理解出来るのですが、なぜそのように言われたのか私は真意を理解出来ずにいました。
それは直後の稽古での「氣づき」でした。
片手取り転換呼吸投げを指導していたとき、生徒さんのお一人が、相手に片手を持たせる時点でぶつかって上手く出来ませんでした。「転換する」ことを前提に片手を出していたためです。
私は「始めから転換するという結論を持って相手に持たせるのではなく、相手が何をしたいか理解するために持たせて下さい」と指導しました。生徒さんはこの助言でスッと出来るようになりました。
そう言いながら私はハッとしました。
自分が指導するときは「こうあるべき」という結論があって、その上で内弟子の話を聞いていました。それでは技と同じで、ぶつかってしまい相手を導くことは出来ない。
自分は「向かい合う」ことをしていなかったのだ、と氣づきました。毎日顔を合わせているのに、自分は向かい合っていなかったのだ、と。向かい合うことは、相手を理解する上での基本だったのです。
思い返せば、日常における「会話」も、仕事における「交渉」も、私はいつも自分のなかに結論を持って臨んでいました。それでは、相手とぶつかってしまい、上手くいくはずがありません。
これ以来、「向かい合う」ことが私の最大のテーマの一つとなりました。まずは、内弟子の教育から、向かい合うことを始めることにしました。
今だに悪い癖が出そうになることがありますが、技の稽古と同じく、臍下の一点に心を静めて人と接し、「向かい合う」ようになってからは、それまで上手く行かないことが驚くほどスムーズになりました。
教育においては「寄り添う」ことが大切だと言われています。これは決して簡単なことではありません。向かい合うという基本があって、はじめて寄り添うことが出来るからです。
藤平光一宗主は、心身統一合氣道を「生活の中の合氣道」と説きました。道場の稽古で会得したことを、生活、すなわち生きることに活かすこと、それが稽古の目的であることを教えました。
ご一緒に稽古に励んで参りましょう。