心身統一合氣道の稽古において、最も大事にしている原則があります。これは人を導く上でのプロセスを示しています。
心身統一合氣道の五原則
一、氣が出ている
二、相手の心を知る
三、相手の氣を尊ぶ
四、相手の立場に立つ
五、率先窮行(そっせんきゅうこう)
「氣が出ている」とは、氣が通う、と置き換えると分かりやすいでしょう。
氣は身体の隅々に通っています。氣が通っているときは身体を自在に使えます。身体に力みがあるときは氣は滞り、思うように身体を使うことができません。
氣は相手や周囲と通っています。氣が通っているときは周囲がよく見えます。心に執着があるときは氣は滞り、相手や周囲のことが分からなくなります。
氣が出ている状態だから、持っている力を発揮することができます。そして、氣が出ているから、技もできるのです。
故に、心身統一合氣道の五原則の最初が「氣が出ている」なのです。
心身統一合氣道の稽古方法の一つに、相撲のように相手と組み合った状態で、相手の道着や帯は持たずに、相手の身体に手を添えた状態で前に進む稽古があります。
シンプルですが、奥の深い稽古方法です。
人は、動き始めに乱れやすいもの。今まさに動作を起こそうとするその瞬間に、氣が滞ってしまうのです。乱れを自覚することができます。
「相手を押して動かそう」とすると、上体や腕、脚に力みが生じます。すると、氣が滞ってしまって、前に進めなくなります。
「どうやって動かそうか」と考え事が始まると、心に執着が生じます。すると、氣が滞ってしまって、やはり前に進めなくなります。
身体の感覚を確かめようとすると、そのとき心は隙だらけになります。虚脱状態になって、氣が抜けて動けなくなるので、これは論外です。
この稽古方法を通じて、いとも簡単に氣が滞ってしまう事実に直面し、「自分はこんなにも乱れやすかったのか」と驚くわけです。
「氣が出ている」状態で動けば、何の問題なく前に進めるわけですが、こんなシンプルなことが、人はなかなか出来ないのです……。
氣が出ている状態は、言葉で理解することは難しく、実際に体験して、身体で会得して、はじめて理解できます。
それでも、自身で確かめる基準はあります。
例えば、氣が出ているときは、全身、どこにも力みがありません。足先や指先など身体の隅々に氣が通っているので姿勢も盤石です。視野が広く、周囲のことを鋭敏に感じられる状態になっています。
心身統一合氣道の稽古では、氣のテストで氣が出ている状態を確認した上で、激しい動きでも維持できるように訓練をします。
トップアスリートが体験すると、皆、「調子がよいときはこういう感じです!」と言います。問題は、常にその状態を維持することが、自力だけでは難しいことにあります。
だからこそ、稽古を求め続けるのでしょう。
氣が出ている状態で動くことを、しっかりと身につけるためには、道場での稽古だけでなく、日常での訓練も不可欠です。
身体の状態だけではなく、心の状態にも直結しているからです。
「やならければいけないこと」があり、やるかどうか迷ってしまうとき、あるいは、嫌々やるときはありませんか。そのような心の状態に陥った瞬間に、すでに氣は滞っているのです。
「やるならやる」「やらないならやらない」と心を決めることが大事で、ひとたび決めたことは淀みなくスッと行うことです。
その積み重ねによって「氣が出ている状態で動く」習慣がつきます。
私は子どもの頃から、何をするにも心が決まらない性格でした。
内弟子修行で徹底的に鍛えられたのがこの癖の上書きでした。新たな習慣がついてから、不思議なことに技も上手くいくようになりました。
その変化を見守っていた藤平光一先生は、私に言葉をかけました。
「お前は、何かしようとするごとに、自ら氣を滞らせていたのだよ。氣が出ているから相手を理解できる。相手を理解するから導けるのだ。」
そして、このように続けました。
「修行とは、日々、日常で行うこと。いかなる状況下でも氣が出ているように、修行は一生、続けなさい」
それ以来、何をするにも、道場は勿論のこと、日常生活においても、「氣が出ている状態で行動する」ことを心がけてきました。
そして現在の自分に至っています。今となっては、私が心が決まらない性格であったことは誰も想像できないようです。
日常が変わるから技が変わる。まさに「生活の中の合氣道」なのです。