内弟子修行の頃の話。
藤平光一先生から呼び出されて、大道場の控え室に向かいました。稽古直後のため、私は道着のままで駆けつけました。
藤平光一先生はすっと立ち上がり、私の道着の胸元を軽く持って、私の顔をじっと見ながら、にっこりとこう言います。
「儂はね、お前のことで、相当に辛抱しているんだよ」
自分が至っているとは思いませんでしたが、これはいよいよのこと。何のことか分かりませんでしたが、ひとまずは謝ることにしました。
藤平光一先生はこう続けます。
「氣に入らないことばかりだが、儂はお前に入れておく。入れておきさえすれば、それはいつか必ず出てくる。今は分からなくても、経験と共にいつか分かる日が来る。だから儂は、大事なことはお前に入れておく」
私はまだ何のことか分かりません。
「だから、お前も四の五の言わずに、言われたことは総てやれ!」
ああ、初めて分かりました。
私は、自分の頭で「意味がある」「意味がない」などと判断をして、関心がないことには積極的に取り組む姿勢を持っていませんでした。そのことを言われているのだ、と。
藤平光一先生のあまりの迫力に、今でも様子を鮮明に覚えています。
あれから25年の歳月が経ちました。その間に藤平光一先生は天寿を全うし、10年の月日が過ぎました。
そして今になって、当時、私の中に入ったものが出てくるのです。様々な経験を積み重ねて、ようやく理解できるものがあるのです。
私たちは常に成果を求めています。
指導者であれば、「これだけの時間と情熱を持って教えているのだから、相手がこのくらいにはなって欲しい」という我欲があります。
この我欲は本当にくせ者で、相手が自分の思い通りに良くならないと、焦りや苛立ちを覚えるのです。
相手が聞いていてもいなくても、理解できても理解できなくても、大事なことは入れておく。入れておきさえすれば、いつかは出て来るし、いずれ理解にも至る。
お子さんは特にそうです。
言うことを聞かないお子さんにイライラすることも多いでしょう。
でも、お子さんは聞いていないようで実はちゃんと聞いているもの。聞いていないから、理解できないから、すぐ良くならないからと、入れることを止めてしまったら、良くなることは決してありません。
大事なことは、繰り返し、繰り返し、入れてあげたら良いのです。
私も若手の指導者を育成しているとき、何度言っても変わらないと、ときに、イライラして語調が厳しくなるときがあります。
そのたびに、藤平光一先生の在りし日を思い出して、聞いていてもいなくても「大事なことは入れておこう」としています。
すると不思議なもので、何年かして突如、良くなることがあるのです。
思い返せば、藤平光一先生は誰に対しても同じようにしていました。それは指導者としての基本姿勢であったのでしょう。
太陽は、自分の気に入るものにだけ光を当てるようなことはしません。環境によって日向と日陰は生じても、太陽は等しく降り注いでいます。
これこそ「万有愛護」の精神であり、指導者にとって最も大切なもの。
言うことを聞いても聞かなくても、すぐに理解できてもできなくても、大事なことを入れ続けられる、そういう指導者を私は目指しています。
「お前のことで、相当に辛抱しているんだよ」
教える側のこの気持ちも、今となっては良く分かります……。