このコラムは中学生の皆さんも読んでいると聞いていますので、奥行きのあることをどうしたら平易に伝えられるか、いつも工夫しています。
その観点では、今回の内容は「難易度が高い」「専門的」と感じるかもしれませんが、とても大事な内容なので整理しておきたいと思います。
「臍下の一点(せいかのいってん)」とは何か。
下腹の力の入らない場所、その無限小の点を「臍下の一点」と言います。「無限小」ということは「形がない」ということです。
心身統一合氣道では、「臍下の一点に心を静める」ことを訓練します。
実は、この訓練が、アスリートが自身の力を最大限に発揮する上で、あるいは、リーダーが物事に動じなくなる上でとても重要なのです。
「臍下丹田」という言葉をご存知の方が多いと思います。
「臍下(せいか)」とはおへその下を指す言葉です。丹田の「田」は、田んぼや油田・塩田など「何かを産出する土地」を意味し、面積を表しています。ゆえに、臍下丹田とは、通常は「下腹の辺り」を指します。
「臍下丹田に力を入れる」と表現されることが多いようです。
「臍下の一点」と「臍下丹田」は別物です。
「臍下の一点」は身体の力みの及ばない場所であり、心を静める場所です。力を入れる場所ではありません。
臍下の一点に心を静めると、外からの影響によって意識が振られなくなり、心身共に、土台が盤石に保たれるようになります。
通常、人間は「前後」「左右」に意識が振られています。
例えば、前に対して備えようとすると、意識が前に振られます。横に対して備えようとすると、今度は意識が横に振られます。
それらが同時に起こるとグラグラして土台を失ってしまうのです。これが「物事に動じる」ことで、力を発揮できなくなる最大の要因です。
臍下の一点には力が入りません。つまり、身体の力みが及ばない場所です。力みが生じる場所だと外からの力・動き・刺激の影響を受けますが、臍下の一点は受けません。
その一点に心を静めることによって意識が振られなくなり、常に盤石な土台を保ち、持っている力を発揮できるようになるのです。
身体が動くときも、臍下の一点が移動することを心がけると、常に「力を発揮できる」「瞬時に対応できる」状態を維持することができます。
日常生活でも意識が振られることがあります。
突発的な問題が生じると、「ああ!大変」とその問題に飛びつきます。つまり、目前のトラブルに心が動じてしまうのです。そんなときに限って別な問題も生じて、まったく動けなくなります。
臍下の一点があれば一つ一つのことに動じず、落ち着いて対処することができます。だからこそ、リーダーにとって必須の訓練なのです。
「臍下の一点」は「重心」と間違えられることがあります。
重心が高いと不安定になり、重心が低いと安定するのは、キャリーバッグの荷物の詰め方でも分かります。重い荷物を高い位置に入れると、キャリーバッグは倒れやすくなりますね。
このことと、混同してしまうのかもしれません。
「臍下の一点」と「重心」は別物です。
「重心」とは、物体の各部に働く重力の合力が作用するとみなされる点で、通常、立った状態の重心は骨盤の位置(身体の内側)にあります。
重心がスムーズに移動することによって、歩くことも、立ち上がることもできます。姿勢や動作によって重心は移動し、胸の辺りにある瞬間もあれば、身体の外側にある瞬間もあります。
重心について研究し、身体の動きを物理的に理解することは有益です。それによって身体をサポートする用具なども進化していきます。
他方で、運動する人が「重心を考えながら動く」のは現実的でありません。スポーツや格闘技で激しく動くときは重心も常に移動しています。そもそも重心は外側から観察して分かるものですから、尚さらです。
「臍下の一点」と「重心」の関係を説明すれば、「臍下の一点に心を静めて動くことで、スムーズに重心移動できる」ということです。
人間は「物」ではなく、心の状態が常に身体の状態に影響を与えているので、重心だけで人間の運動を語ることはできません。
「心が身体を動かす」のですから、スムーズに重心移動できない原因は、心の状態に拠るところも大きいのです。
臍下の一点があれば、あとは身体が無意識のうちに整えてくれます。だからこそ、激しい運動であっても活かせるのです。
ちなみに、様々な媒体で、体重が足裏の外側にかかるのを「外側重心」、つま先にかかるのを「つま先重心」と表現されるのを目にします。
実際には、足裏に身体の重心はありませんので、おそらく「足底圧」のことを述べたいのでしょう。
全身の体重は、足裏全体でバランス良く支えることが大切です。足底圧の分布を調べることで、バランスを知る一つの目安になります。
心身統一合氣道では、「つま先立ち」で基本姿勢を確認します。その目的は「足先に氣が通っているか確認すること」であって、つま先に体重を置くことではありません。
そもそも足裏のどこに体重をかけるかを常に意識していたら、自由に動くことはできません。
一人一人、骨格・筋肉は異なり、身体の状態も違うのですから、自然な立ち方は人それぞれです。足先に氣が通うように訓練すれば、あとは身体が無意識のうちに整えてくれます。
生き物の身体は、本当によく出来ていると思います。
通常、私が道場で指導をするとき、アスリートなどに指導をするとき、「重心」や「足底圧」という言葉を使う機会は、ほとんどありません。
「臍下の一点」さえ身につければ、意識する必要が全くないからです。
心身統一合氣道では、How to say(「良い」「悪い」を指摘する)ではなく、How to do(「どうしたらできるか」を示す)を大事にしています。
どういうメカニズムで機能しているかを調べるのが研究者の役目ならば、どうしたらできるかを具体的に示すのが私たちの役目です。
正しいことには「普遍性」と「再現性」があります。普遍性とは、誰が行ってもできるということ。再現性とは、同じ条件下であれば何度行ってもできるということ。これを基準にお伝えしています。
野球評論家の広岡達朗さんは、「臍下の一点」は総ての運動の基本であり、スポーツ選手やコーチの皆さんは学んでおくべきと言われます。
人間が本来持っている力を発揮できる、具体的な方法だからです。