心身統一合氣道の技の稽古で、最も重要なのは「土台づくり」です。
土台となる姿勢が乱れていては、相手を導き投げることはできません。相手を投げるより前に、まず自分の土台を整えることです。
臍下の一点に心を静めると、心の状態も身体の状態も盤石になります。すると、外からの「力」や「刺激」に対して振り回されなくなります。
一つ一つの物事に、正々堂々と正面から向かい合うことができます。
目の前のことから上手に回避しようとすると、かえって土台を失い、結果的にひどく振り回されることになります。そういう経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
動じない人間になるため、そして、常に冷静な判断ができるために、多くのリーダーが心身統一合氣道で「土台づくり」を学んでいます。
私自身も、日々、稽古を通じて磨いています。
今から10年くらい前の話です。私は両親が年を経てからの子供だったので、30代で両親を見送ることになりました。
父が亡くなった際は本当に悲しく、逝去して翌々日の講習会の指導では立っているのもやっとで、何とか役割を全うしました。さらに、ラスベガスで大きな講習会の指導がありましたが、成功裡に終わりました。
そうこうするうちに悲しみを乗り越え、日常を取り戻していきました。
その二年後に母が亡くなった際は、そこまで悲しみを感じることはなく、逝去した翌日から、いつも通りに指導の現場に立っていました。父が逝去した経験があるので、心が強くなったくらいに考えていました。
特に、気性の激しかった母とは、何かと対立することも多かったので、亡くなったことで「解放された」気持ちもありました。だから、「それほどの悲しみは感じないだろう」と捉えていたのです。
そんな中で、不調は突然訪れました。
突発性難聴、目まい、偏頭痛、胃腸炎、肋間神経痛、喘息など、一つの不調が表れ、それが収まっては次の不調が表れます。指導や講演には穴をあけられないので、氣力だけでやり遂げていました。
そんな不調が半年ほど続きました。
ある晩、どうしても眠りにつくことが出来ず、思い切って起き上がって、そのまま朝まで「氣の呼吸法」をすることにしました。すると、呼吸が静まるほど、忘れていた母との思い出が頭に浮かびます。
「いろいろあった母だけど、大事に育てられたのだな…」
自然に涙が流れてきて、「ああ、自分は本当は悲しかったのだな」と、はじめて母の死を心から悲しむことができました。無意識のうちに私は「悲しくない」と自分を抑圧していたのでした。
その後、あれだけ続いた不調は霧が晴れて散るようになくなりました。
自分を抑圧すると土台を失ってしまうので、心と身体の状態は乱れる。そんなことは日頃の稽古で十分に理解しているはずなのに、母の死に直面して、私は自覚なくそれをやってしまったのです。
土台があるからこそ、向かい合うことができるのです。
一昨日、私にとって大事な方が急逝しました。
心身統一合氣道のよき理解者であり、とてもお世話になりました。数日前まであれだけ元気に活動していたのに、突然の別れでした。お若いのに残念で仕方ありませんが、天命を全うされたのだと思います。
大事な方が亡くなったのだから、いまは心から悲しみたいと思います。そして、前に進んでいきたいと思います。
心からご冥福をお祈りいたします。