思い込み

 

今から20年くらい前のことです。心身統一合氣道を集中的に学びたいと、ドイツから来た青年がいました。

数年間の滞在で、あるとき、彼が学んでいる書を披露してくれました。まるで書家のような美しい筆遣いで、感嘆した私はこう伝えました。

「ドイツの方なのに、これほど書がお上手とは!」

彼は「ありがとうございます」と応えた後に、何気なくひと言。

 「でも、日本人でもピアノが上手な方もいますね」

ああ、なるほど。ぐうの音も出ません。私には「西欧人は書ができない」という思い込みがあったのです。

思い込みや先入観には自覚がありません。

「年だから」「若いから」「男性だから」「女性だから」など様々あります。「金髪・ピアスの若者は不真面目」などは偏見です。

思い込みに基づいた発言は、ときに人を傷つけることになります。このときはそうはなりませんでしたが、教訓となりました。

「思い込み」は、様々な場面で私たちに影響を与えています。

よくある思い込みの一つが「大変そう」です。

すごく努力をしている人を見ると、周囲はそう感じるものです。しかし、本人に尋ねてみると、ひとつも大変に感じていないことが多い。

大変だと感じさせるのは、「大変そう」という思い込みかもしれません。実際にやってみると、案外、そうでもないことが多いのです。

「大変そうだから、やらない」という選択を繰り返してしまうと、いつまで経っても前に進むことができません。

そんなときは、「始めれば、あとは半分」と考えると良いでしょう。始めさえすれば、すでに半分は終えたのと同じ、ということです。

以前、私は「文章を書く」ことが大変で仕方ありませんでした。自分が本を執筆するなど、想像もできませんでした。

「大変そう」と思っていた上に、良い文章を書かなければと身構え、書くという行為そのものが苦痛だったのです。

あまりに大変で、何がそんなに辛く感じさせるのかを考えました。しかし、考えても考えても、明確な理由など見当たりません。

最終的に辿り着いたのは、思い込みではないかということでした。

伝える相手を思い浮かべ、テーマを明確にして、まず書き始める。書いた文章がどれだけ気に入らなくても、途中で消さない。そして、書き上がった文章を納得いくまで推敲を重ねる。

「まず書き始める」ところが最大のポイントで、そこさえ超えてしまえば、私の場合は、思っていたほど大変ではないことが分かりました。

大変と感じさせていたのは、実体のない「大変そう」だったのです。

藤平光一先生の元での内弟子修行は、本当に厳しかったです。

しかし、決して大変ではありませんでした。ここが大事なところです。「厳しい=大変」というのは思い込みです。

「どうせやるならば楽しんで行う」という姿勢が大事で、それによって、「大変そう」という思い込みから解放されます。

何のためにそれを行うのかを理解し、着実に積み重ねて成果があれば、結果として、厳しさに喜びや幸せを感じます。

ただし、「大変=喜び」だと意味が変わってしまうので要注意です。

指導者の立場でいえば、成長に必要な厳しさにおいて妥協することなく、かつ、いかに相手に「大変さ」を感じさせないか、ということです。

ここで間違いやすいのは、「無理をさせる」ことではないことです。心身共に弱ってしまうような、実体のある「大変さ」だってあります。

だからこそ、常に相手の状態をよくみて、導くことが大事なのです。

皆さんが今、「大変そう」と思っていることは何でしょうか。

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